menu

コラム

感性の完成は・・・。

季節の変化を頬に触れる風で感じ、雨の匂い、鳥の声、雪の静けさ、空や木々の色・・・、四季のある日本ならでは特に敏感に感覚として捉えることができます。
時間に追われてしまうと、この感覚を楽しんだり、感性を育む余裕もなくなってしまいます。
忙しくせわしない状況では、ゆったりした時間を生み出すことは困難です。
時間や仕事に追われ埋もれて埃まみれになった感性を探り出したり、さらにその感性を磨くためには、ゆっくりした時、五感で感じ、考えるための時間が必要です。
スタッフにも日ごろ「仕事は五感で上手くなる」と言っています。
見て、聴いて、感じて、考え、感動し、体得する・・・という感じに・・・。

感性、想像力を養うための器作りには幼少期の経験が大きいのではないでしょうか。
これらは、努力して得るというものではなく、周囲の環境や経験から無意識に浸透してくるものです。
五感で感じるとるさまざま芸術やスポーツ、文化的なものに多く触れることによって、人間の厚み、幅、物事のいろいろな見方・アイデアを構築していくものであると思っています。
幼少期の感性は、嬉しい・悲しい・きれい・怖い・楽しい・・・に敏感で(「つらい」「きつい」は感性ではないですね)、この時期に脳というプールに感性、知識を感性のホース、知識のホースでバランス良く注いであげることが大人の義務だと思っています。
昨今の詰め込み教育?は、例えて言うならば、水彩画を乾燥させずに次から次に新しい色を塗り重ねてしまっているような感じがします。一つの色を塗って乾燥し、見て考えそして次の色へ・・・つまり今の教育では、あわただしい教育によって、考えたり感じたりする時間が欠如してしまっています。水彩画で乾燥させず、考えずに次々と色を塗り重ねてしまうと絵は灰色一色になってしまいます・・・。人間ではどうなってしまうのでしょうか・・・。グレーに染まってしまい感性や想像力、思いやりや信頼、優しい気持ちまでも薄れてしまってはいけないと思います。
感性や想像力を養うための時間というものを今の時代では意識して作らなければならなくなってしまったのかもしれません。

写真もそうですが、見たものを撮るのではなく、見たものを「感じて」撮る。見たものを覚えるのではなく、見たものを「感じて」覚える。この「感じる」というワンクッションが撮ったもの、覚えたものの厚み、幅を広げるための重要な要素になるのです。1+1=2という物理的な発想ではなく、1と1が2になる過程を創造し、楽しんで2を導けるような感性に憧れます。この過程が100人100様の発想になるわけで、100人100様の芸術からのフィードバックによってももたらされるとも思います。
写真が好きな方は、よくレンズの焦点距離を年齢に例えます(20mmレンズ→20歳、50mmレンズ→50歳というように)。
- 幼少期は、たくさんの物が目に入りさまざまな対象を広く取り入れる広角レンズに。
- 50歳近い我々の世代は、適度にバランスがとれ、流れから大きく逸脱することのない標準レンズに。
- 望遠レンズは、視野は狭くても目標を浮かび上がらせ、しっかりと見つめるために。
広角レンズの眼を持つ次の世代の子供たちには、知識だけではなく、たくさんの経験や、そしてなによりもその子供たちが「何か」を感じ取ってくれるような我々の「後ろ姿」を見せなければと思っています。
ひな祭りを前に・・・。 酒井 公洋

P1010279-1.jpg
70年前のレンズで撮影。

ちなみに・・・唾液を出し抵抗力をつけるための噛む回数とブラッシングの時間も意識しないと増えません
ね(笑)。

P1000991-1.jpg
私の「カメラ好き」のきっかけ・・・。

P1000993-11.jpg
カメラ好き???


P1010302-1.jpg
開花した桜と。(これも古いレンズにて)