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コラム

さよなら・・・。

医院庭に1本の桐の木がありました。
昔は数本あったそうですが、あちこちに移動してしまい1本だけ残りました。
私にとっては、庭の象徴として写真の被写体としてもいつも大活躍していました。
いつもそこにあって、いつも見守っていてくれました。
子供のころ、医学生時代に若くして亡くなった院長の兄が、幼少期につけた竹刀の傷や空気銃の跡もあるよ・・・と教えてもらいました。
いろいろな意味で、さまざまな思いで、この桐の木を見続けてきました。
ここ数年老木となり元気もありませんでしたが、今年、とうとう枯れてしまいました。
木肌はブクブクになり指で触っても崩れてしまいます。
お別れの朝、この桐の木の下で桐の木と一緒に一杯お酒を飲みました。
60数年前に亡くなった院長の兄もその場にいたかもしれません・・・。

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いつも医院を見守っていました。

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春も秋も・・・。

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最後の姿・・・。 さよなら・・・。

世襲議員について最近よく話題になりますが、代々受け継いでいく遺伝子をもとに時代にあわせて進化していくこともある意味必要なのでは?と思うこともあります。
政治や伝統芸能など、先代に対するプレッシャーや世間の評価、時代に合わせて行くために必要な変化・変革に対する勇気や努力、一から色をつけて行くのではなく、もともとの色に色を加え変化させていく難しさ、新しいものに挑戦する勇気や決断力・・・等々ただ先代からの延長線上にあるものではないので、世襲という見方に対する評価を覆す努力も必要になります。
私は、物心ついた時から、父親(院長)の仕事をしている後姿を見て生活し育ってきました。
朝6時には起きていて、夜中(時には早朝まで)まで仕事をしていました。休みも月に1日のみで、私が寝ても覚めてもどんな時も仕事をしているという記憶しかありませんでした。もちろん今の時代は、当時とは大違いですが、仕事のイメージ、仕事に対する気持ちとしてはこの院長の後姿が根底にあるように思えます。いまだに院長の患者さん、仕事に対する想いには頑固なまでに相当なものを感じます。(時間にはルーズ?ですが・・・(笑))
どのような仕事でもその仕事を選ぶ「きっかけ」や「スタートライン」があるわけで、それはどんなに気持ちや社会が変化しても必ずゆらぎなく心の芯に残っているものであると思います。この無意識のうちに心や体の中に入り込んでいる「仕事に対する想い」が遺伝子なのかもしれません。
私も20数代、医療に携わり(祖母方)、この想いというものを繰り返し伝承し、進化し、現在があるように思います。桐の木はなくなってしまいましたが、この先代の方々の想いを大切に正しく進化し続けて行きたいと思います。
・・・と半年間考えていました・・・というわけではありませんが・・・(笑)。