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コラム

ゴールって・・・。

節分も過ぎて、また新たな気持ちで診療にあたっていますが、最近、ふと治療のゴールについて考えることがあります。
最終的な治療のゴールってあるのでしょうか?
自分の歯でずっと噛めるように・・・とう方針を重要視しながら努力してきましたが、昨年末のセカンドオピニオンの一件で、ゴールに対する理解の相違を感じています。
インプラントの選択も良い方針だと思います。食べ物が食道に送られるにあたり、最も効率よく粉砕され、消化の助けとなる状態に物理的にもっていくには、そのような治療を選択することがゴールなのかもしれません。
しかし、少しでも自分の歯で噛めるように、なるべく削らない、抜かない治療とは真逆の治療です。
保存か外科処置か?という、我々歯科医師にとっても究極の選択課題であることは間違いありません。
もちろんそこに至るまでの経緯も大切です。良し悪しの問題ではなく、1本の歯の命をどうするか?という事です。
例えれば、延命?か安楽死か?という問題と類似してきます。
最終手段としてのインプラントか?第一選択としてのインプラントか?
例えば、前歯が、1本事故で抜けてしまいました。
ここで歯や身体に負担の少ない治療を選択するとなると、・・・
一般的にまず、保険の義歯→自費の金属の無い義歯→保険の接着性(削る量が最小限、ただし歯がやや黒く見えることも)のブリッジ→保険のブリッジ→自費の接着性のブリッジ→自費のブリッジ→インプラント。の順となり、この中から方針を選択することが多いでしょう。ところが、先ほど言った物理的に最も良く噛める究極の状態ということになると、最初からインプラントを選択するということになります。
しかしながら、様々な要素・・・、審美性からは?年齢からは?嗜好からは?噛み癖からは?歯ぐきの状態からは?残っている歯の状態からは?患者さんの希望からは?負担金額からは?家族からは?等々まだまだたくさんの条件から十分に熟考して方針を選択していかなければなりません。ここにゴールはあるのでしょうか?
歯の治療は、治癒という状態で終わります。つまり、生活に支障なく噛めるというある意味曖昧な終わり方が治癒であって、ここが現状のゴールであると思われている場所とも言われています。しかし、ここでもし、完治、終了がゴールというのならば、まったく治癒の意味合いが変わってしまいます。
治癒としてのゴールか?完全終了としてのゴールか?はたまた、患者さんの希望通りに終わることがゴールなのか?
毎日毎日悩み続けています・・・。



先月の大雪では、こちらの面の駐車場に2週間雪が残ってしまいご迷惑をおかけいたしました。