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Hawaii Center for Aesthetic & Restorative Dentistry
マルファン・ネットワーク・ジャパン(MNJ)
祝 マスターズ出場!
以前に書かせていただいたプロゴルファー・石川 遼選手のマスターズ出場が決まりました。招待とはいえ17歳での出場には驚愕です。
父の影響もあって私は、当時小学校低学年の弟と一緒に、中学生からゴルフを始め、約10年位前にやめる?まで20数年間、毎年4月のマスターズ中継を心待ちにしていました。TBSの故・石井 智アナウンサーと岩田貞夫氏の解説も楽しみでした。故石井アナの実況中の「いや~っ!!」の声も脳裏に焼き付いています。(故石井アナは、同時期、フジテレビが放送を開始する前のTBSの番組でのF-1(フォーミュラ1:自動車)レースの解説もされていて、やはり「いや~っ!!」が楽しみでもありました。)
当時15歳の時の1978年開催時のマスターズの、私も父も心からのファンである南アフリカの黒豹・ゲーリー・プレーヤーの奇跡の逆転優勝(マスターズ3回目の優勝時)のテレビ映像は、鮮明に覚えています。確かこの優勝時は、早朝父親をたたき起して(笑)テレビの前で通学前に感動に浸りました。最終18番ホールでの奇跡の逆転パット(確か10数メートルの下りの長いパットで、この後都内の某デパートにこのグリーン実物大模型が再現され一般の方々のチャレンジイベントになっていました。)は神がかりのプレーでもありました。当時まだ糸巻きのゴルフボール(さらにゴルフボールにはスモールとラージという2種類の大きさがありました)とパーシモンのクラブの時代で、マスターズを開催するオーガスタナショナル・ゴルフクラブは、高いドローボール(パワーのある高い球で落ち際にやや左に落ちる球筋)で攻めるのが定石でした。今は、ツーピースの硬いよく飛ぶボールとチタンのクラブで当時とは全く異なる攻めが要求されるそうです(パワー・フェードだったでしょうか・・?)。
私のゴルフ?もゲーリー・プレーヤーが優勝したこの前後数年がピークで1970年代から80年代後半までのマスターズ歴代優勝者や出場選手の名前を見ると、涙が出るほど懐かしく思います。ほとんどの選手の顔もスイングも特徴?もまだまだはっきりと覚えていますし、形態模写する自身(笑)もあります。(身内では、数年に何回かプレーしますが、公式?に最後にプレーしたのは、約10年前に、同級のT医大病院・泌尿器科の並木先生(笑)とのプレーが最後でした・・涙)
是非〃、石川 遼選手には、記念出場に留まらず、若さを武器に、魔物が潜むといわれるオーガスタでガンガン上位をねらっていってもらいたいと思います。
我々の夢も乗せて・・・。
11番ホールから始まる「アーメン・コーナー」で毎年数々のドラマが。これは、13番ホール(このホールで昔、中島常幸プロが13打叩きました)。