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コラム

フィルム考

30年以上続いている趣味のひとつに写真があります。
はじめは、精密な機械感、ギアの音、金属の重み、ぬくもりが伝わったあとの暖かさ等々、カメラをさわり、シャッターボタンを押し、トルク感のある巻き上げ行為だけでも十分に楽しむことができました。
やがてそれらの行為の延長として、フィルムを入れ実際に撮影するようになり、さらにまた撮影する楽しみのために被写体を探す・・・という行為の連続で現在に至っているというわけです。私にとっての写真の始まりは、被写体への興味ではなく、精密機械を操作する楽しみから始まったのかもしれません。
昨今のデジタルカメラブームというかデジタルカメラ化で、フィルムを入れたり、巻き上げたり、絞りやシャッタースピードの調整、現像までのワクワク感等々、昔のフィルムカメラ(いわゆる銀塩カメラ)が持ち合わせていた愛着感、奏でる楽しみ感、は薄らいできてしまったようです。たくさん撮影できるという大きな利点もありますが、「一発入魂!」(笑)の緊張感はなくなりつつあります。デジタルカメラが今後、単なる映像記録媒体としての無味乾燥な代物になってしまわないように祈るのみです。
私は今後も、「見たものを撮るのがデジタルカメラ、感じたものを撮るのがフィルムカメラ」・・・ってな感じで(笑)まだまだフィルムカメラも使い続けて行こうと思っています。
今では、カメラ量販店などでもフィルムの販売コーナーを探すのが大変になってきました。昔は、大きな冷蔵コーナーに各種さまざまなフィルムが山のように積んであったものです。
フィルムカメラでは、フィルムの種類によって大きく表現は変わってきます。レンズの性能や味、撮影者の意図するところである露出調整や測光さえ除けば、表現の大部分を占める重要な存在はフィルムであるということです。つまりどんなコンパクトカメラでも、いろいろな意味での超高級な一眼レフ等のカメラでも、使用するフィルムによっては、ある意味ほとんど差もなく撮影することができると言えるかもしれません。デジタルカメラの軽量コンパクトタイプや超高級一眼レフタイプ等との差でみた場合と決定的に大きく異なります。そういった意味では、フィルムの種類の違いは、今で言えばデジタルカメラ内のCCDの性能差、絵作りソフトのプログラムの違いと同等な意味のことなのでしょうか・・・。今、デジタルカメラを選ぶということは、少し前ならば、フィルムを選ぶ行為のことだったのかもしれません。

最近、とある場所で昔懐かしいフィルムをお使いになっている方に遭遇しました。もう今年いっぱいで製造も、現像すら(特殊な現像方法のため:白黒フィルムに色を乗せるようなイメージ)できなくなってしまうそうです。高校時代に、海に夕陽を撮りに行く時に好んで使ったフィルム、わざと逆光で撮影し、渋い赤と美しい黒やグレーを再現してくれたフィルム、もう現像したポジ(スライドフィルム)も写真も手元にはなく、キャビネサイズに拡大して自分の部屋に飾ってあった写真の光景が脳裏に焼きついているだけです。
黄色の箱と25,64の赤文字とともに・・・。  酒井 公洋

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左右30年、隔世の感あり。デジタル化によって写真も、今ではレントゲンまでもライトボックスからモニターに・・・。